浦安聖約キリスト教会

取り去られた大きな壁

A.Mさん 女性

突然の辛い出来事

私は23歳の頃、辛い経験をしました。信頼していた人からの裏切りと家族との不和です。私は生きがいともいってよかったものを突然に失い、悲しみに暮れていました。そのきっかけをつくった家族に対する怒り、憎しみという感情もいだいていました。しばらく泣き暮らし、家の中では誰とも口をきかず、暗い気持ちの中、生きる気力も失っていました。

教会へ行ってみたが・・・

そんな状況の中で私は何か真実なものを探し求め始めました。本屋で手にしたのが三浦綾子さんの「生きること思うこと」で、その内容は私の心に浸み込んでいきました。それから本屋へ行くと三浦綾子さんの本を買い求めるようになり、キリスト教の考えを知るようになったのです。

学生時代にたまたまとっていた授業で使っていた聖書を取りだし、少しずつ読むようになりました。そして一年程たって教会へ行ってみようという気になり、勇気を出して電話帳で調べて実際に教会へ行ってみたのです。いざ教会の前まで来るとなかなか足が進まず、帰ろうかと思っていた時、外国人の女性宣教師に快活に日本語で、「教会は初めてですか?素晴らしい神様の話がありますよ。是非寄っていってください」と促され、初めて教会に足を踏み入れました。

しかし、その時には神様のことがぴんと来ませんでした。そしてやはり私には神様を信じることは無理だという気がしました。宗教に頼ろうとする自分が弱い者に思え、あんな辛い出来事が起こらなければ教会など来ていないのに、という自己憐憫の感情に陥りました。同時に家族に対する許せない気持ちもくすぶり、ますます気が滅入っていったのです。結局、教会通いは5、6回で終わってしまいました。ただ、教会の前で出会った外国人宣教師が英語を教えていたので、礼拝ではなく英語クラスのために毎週教会へ通い、私はその授業の中で神様の話を聞いていました。

知ることと信じることの間にある大きな壁

心を満たすものを探し求めながら、そしてそれは神様、イエス・キリストなのかもしれないと感じながら、やはり受け入れる難しさを覚えつつ、私は長年の夢だった米国留学へ旅立ちました。アメリカでは勉学に忙殺される日々で、教会どころではありませんでした。しかし、敬虔なクリスチャンたちや日本人留学生に非常に親切な牧師との出会い、またクリスチャンの日本人留学生と友達になる中で、数回は教会へ行く機会がありました。その時には美しい賛美の曲や歌詞が心に響きましたが、信じている人はいいなぁ、でも私には信じるのは無理だ、という思いが常に私の中にはありました。キリスト教を知ることと信じることとの間には、大きな壁があると感じていたのです。

不思議な出来事と信じる決心

そのような心の壁を取り去ってくれたのが、帰国直前に参加したクリスチャン・キャンプでした。勉学も終了し、旅行気分で参加しました。
当時、まだ信仰を持っていない私は、祈りの時間が苦手でした。祈りの時間に、私はただ下を向いて早く終わってくれないかと考えていました。
そのキャンプでの祈りの時間の時、数メートル先の左に立っていた白髪の男性が私のそばにつかつかと寄ってきました。彼は「あなたのために祈らせてください」と言い、私の手を取って祈り始めました。彼の祈りの内容は驚くばかりで、私は頭をガーンと殴られたような気がしました。全く初対面の男性が私の信仰に対する迷いの軌跡を述べながら、神様を信じることができるようにと祈ってくれたのです。

クリスチャン対象の集会なのに、まだ信仰を持っていない私のことが何故わかったのだろう?

とにかく私の心を知っていたかのような祈りに私は驚き、ショックと同時に涙が出てきて止まりませんでした。神様は私のことを知っていてくれて、そして待っていて下さったのだ、と心に感じました。神を信じることへの大きかった壁はその時、私の前で崩れ、神を信じる決心がついたのでした。
後でその男性に、何故私の心の状況を知っていたのかという疑問を口にしました。するとその男性は落ち着いた声で、「実は聖霊が君のところに行って祈るように、命令してきたんだよ。僕が君に言ったことは全て、神、聖霊からのことばなんだ」と教えてくれました。

この不思議な体験の後、ある聖書のことばが浮かび、心から離れませんでした。それは、
「見よ。わたしは戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしともに食事をする」(ヨハネの黙示録3:20)
まさに神様が迷い続ける私の心の外に立って、心の扉をたたきながら8年間も待っていて下さったというのを実感したからです。
また、「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」(ヨハネ14:1)という聖書のことばも私を力づけてくれました。

神様を信じるようになって

帰国後、以前に数回通った教会の牧師の紹介で、浦安聖約キリスト教会に通うようなり、洗礼を受けました。受洗準備の時に自分の心の中の醜い部分、自己中心的な思い、罪深さと同時に、キリスト・イエスの十字架の意味を聖書を通して深く考えるようになりました。これは私の場合、キリスト教を信じる決心をした後のことでしたが、自分自身ではどうしようもできない自分の罪から、イエスの十字架が解放して下さったことは神様からの大きな恵みであると感じています。

イエス・キリストを信じ、聖書を読むようになって、私の心には安心感があります。一つには、自分がどの方向を向いて歩んでいくべきか、大きな道筋が示されていること。そしてもう一つには、神様が私を決して裏切らない永遠に真実な愛のお方であるからです。

私がクリスチャンになったことを以前通っていた教会の快活な外国人の宣教師は、「あなたのことは私の母国の教会の方にも頼んで祈ってもらっていました。」と言って大変喜んでくれました。
私を知らない人が私のために祈ってくれていたのです。求め始めてから8年もかかって私が信仰を持つことができたのは、神様のあわれみと様々な人々の背後の祈りによるものであり、感謝の思いが溢れます。
「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」(エペソ2:8)
 
受洗準備中に読んだ聖書のことばの中に、「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」(詩篇1:2~3)がありました。この「口ずさむ」という箇所は「思い巡らす」という意味が込められていることを学びました。この聖句にあるように、神様からのことばを深く思い巡らすクリスチャンになりたいと願っています。

知恵の泉

よい分別と知識を私に教えてください。私はあなたの仰せを信じていますから。 旧約聖書 詩篇 119篇66節
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