浦安聖約キリスト教会

「居てはいけない私」から「居なくてはならない私」

Y.Sさん 女性

生きていくことに疲れきった19歳の秋

私は物心ついた頃からなかなか人の輪に溶け込めず、どちらかというと、えてして疎外されがちな方です。そして周りに対しては勿論、うまくやっていけていない自分にも常に怒りを抱いていました。
その結果、19歳の秋にとうとう生きていく事に疲れ切ってしまいました。 

「何処に行こうと誰が周りに居ようと必ず孤立してきた。これからだってきっとそうだ。」
「“環境が変われば事態は良くなる”と淡い期待を将来に持ち続ける事にもいい加減疲れた。」
「周りにウケが良くなるように自分を改造すれば良いのか?…そんな努力は今まで全て無駄に終り、結局、“自分は自分にしかなれない”とさんざん思い知らされたではないか。」
「親にすら『意地悪な子だ』『お金ばっかりかかって…』『どれだけ恥をかかせれば気が済むの?』と言われ続けてきたではないか。」
「私はそんなに毎日悪意を持って生きているのかしら?自覚がないだけかしら?」
「なぜここまで拒まれるのかしら?それは私が“居ても居なくても良い”存在なのではなく、“居てはいけない”存在だからなのではないのか?大体、私が何か役に立つ事はあるのか?
いいや。今までだって誰かに貢献できていないんだから、これからだってきっと役立つどころか嫌がられるだけだ。
とすると、“居てはいけない私”が、親の金と環境を食い潰してまで孤独に耐えて生きていく必要なんて、もう無いではないか!」

こんな一人問答がどれくらい続いていたでしょう。気がつくと、「どうやって死のうか?」と毎日真剣に考え続けるようになっていました。

癒されることのない自分を見て気づいたこと

元来諦めの悪い私は「ここで諦めたら負けだ」と何とか思い留まり、セラピストを自ら点々と回り始めました。 
それによって助けられた事は遂にありませんでした。が、気付いた事が一つありました。 
「私は人に自分の全てをかけて頼り過ぎている。初めから私を拒む人間は別にしても、私を受け入れてくれる人間でさえ、それでは重過ぎて私から逃げて行ってしまう。私はもっと人に頼らない行き方を身につけていくしかない。」
という考えです。 

しかし、同時にもう一つ、引っかかる事がありました。
「でも、人は一人で生きて行ける程強くないのではないか?少なくとも私は違う。他の皆はどうやって生きているのだろうか?」

人でも、趣味でも、物でもない、限りなく与えてくれる確実な存在を求めて

そこで私は、生れて初めて宗教に積極的な興味を持ち始めたのです。 
人間でもなく、趣味でもない。全く別の、頼りすぎるという事も無く、限りなく与えてくれる、確実な“何か”が決定的に必要でした。
当時留学してアメリカで大学生だった私は、実際に“試す”事から始めました。例えば、チベットの留学生からチベット仏教について色々と聞き、仏教の思想に惹かれ共感を持つ事が多くなりました。またイスラムを信じる友人にモスクの礼拝に連れて行ってもらい、私の目から見るとどうしても“男尊女卑”としか取れない習慣・教えに戸惑ったりしました。

そんな中、大学4年間の課程を無事終了し、5月に卒業しました。 その後帰国し、日本で就職活動をしました。8月には今も所属している会社から内定を頂きましたが、航空会社のマイレージが溜まっていた私は無料でアメリカまでの往復チケットが入手できたので、その年の10月、再度“就職活動”と銘打った、半ば旅行のような目的のため、渡米する事に決めました。 

周りに対する憎悪と復讐心

その頃には、日本での日常と就職活動の中で宗教への熱はほぼ冷めきっていました。
そして「誰かを信用しきったり、頼りきったりすると結局裏切られ、自分が傷つくだけだ。みんな孤独だけどなんとかうまく生きているのだから、私だってそう生きていけるはずだ」と、根拠の無い、淋しい自信に満ちた自分がいました。
その代り、頼り甲斐が無い、と勝手に見切っていた周りの人々や、過去辛い仕打ちを受けた人たちに対する憎悪・復讐心が充満し始めました。

「どうにかして奴等を傷つけたい」と、息も出来ないくらい思い詰めて眠れない夜もありました。そんな私に当時のセラピストが一言、「あなたはしばらくすると、周りの人ではなく、今度は自分自身を痛めつける行動を取るようになるかもしれない」と、再度“自殺”への予兆を告げてきました。
私は愕然としました。 
「一人で生きていける、強くなれた、と思っていたのに!!」

再度訪れたアメリカで

数ヶ月振りに帰った東海岸の街は自然が豊かで美しく、もう勉強に追われる必要がなかった私は比較的一人の時間を、長くゆっくり取る事が出来ました。しかしそんな時間は余計に私を煩悩にばかり駆り立てました。
近いうちに社会人になってしまう事、このままの気持を引きずって生き続けていく事に大きな恐怖を感じ、怯えていました。
“誰か”に救ってもらいたくて仕方ありませんでした。そして、どうすれば良いのか分らなかったので、まさに藁にも縋る思いで近所にあった大聖堂へ行っては、手を合わせ自分の心のうちを吐露し続けました。
「孤独や怒りから解放されたい」と。

そんな中、在米韓国人である友人から「一緒に私の通う教会へ行ってみないか」と誘われ、とうとう10月のある日曜日、私はその友人の車に乗せられ彼女が通うその教会へ行きました。
そこでは、英語の讃美歌も歌われていましたが、韓国語でも盛んに歌われていました。
そんな時、友人は逐次手短に翻訳してくれるのですが、最後の讃美歌の、最後の一句を訳してくれた、”I Love You and Jesus Loves You”が、強く私の心を掴み、揺さぶりました。
(ちょっと考えてみると、何故そんなありふれた、しかも“翻訳された”言葉に心を掴まれたのか、全く不思議です。が、やはりそれはイエス・キリストから語られた言葉だったからなのでしょう。)

その瞬間、“受け入れられている”という安堵感と幸福感で、涙が溢れ出て止らなくなりました。
そして同時に、とても強く「私はイエス様にこれほど愛されるに値しない!」という、救いようのない程の情けなさが私を襲ったのでした。 

愛されることを切望していた渇きが癒されたとき

情けなさ。これは私にとって大きな驚きでした。
なぜなら、第一に、私はイエス・キリストがどういう方だかそれまで全く知らなかったのです!
彼が神の子であることも、私の罪の為に十字架にかかって殺されたことも。しかしその瞬間、何かとてつもなく崇高な方に謁見している時のような、不思議な感覚が私を貫きました。
第二に、それまでの人生で本当に愛に飢え、だれかれ構わず愛してくれることを、むしろ怒りを覚えるほどの渇きをもって要求せずにはいられなかった私でした。それにも関らず今度は、実はどれほど愛され続けていたかの一端に気付いたその瞬間、生れて初めて、打って変って喜び謙遜な気持ちになれたのですから。

日本へ帰国して暫く経ったある日、イエス・キリストは聖書を通して、私は「居てはいけない」のではなく、「居なくてはならない」人間であることも力強く語ってくださいました。

「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神の業がこの人に現われるためです。」 (ヨハネ9:3)


いつも、常に、ともに歩む

あれから何年も経ちました。信仰を失いそうになった経験も幾つかありました。 きっとこれからもそういう危機はあると思います。
しかし、あの日にありのままの私を愛して受け止めて、「あなたが必要だ」と仰ってくださったイエス・キリストと、いつも一緒にいたいと願います。
私のために死んだイエス・キリストと一緒に。
復活した後も、ご自分と一緒に生きることへ常に誘ってくださっているイエス・キリストと一緒に。

知恵の泉

よい分別と知識を私に教えてください。私はあなたの仰せを信じていますから。 旧約聖書 詩篇 119篇66節
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