ルカの福音書15章の「放蕩息子」のたとえ話はよく知られています。レンブラントの名画「放蕩息子の帰宅」をご覧になった方も多いでしょう。
息子は父に相続財産を要求し、受け取ると、さっさと遠い国に旅立ってしまいました。快楽を追い求めて湯水のように財産を使い、ついには何もかも使い果たしてしまいました。折しも大飢きんがその地方を襲い、彼は食べることにも窮し、豚飼いをしながら、豚の餌さえ食べたいと思うほどに、みじめな状態に陥ってしまいました。
彼は父の家の豊かさを思い起こし、ついに決心して立ち上がり、「自分の父のもとに行ったのです。」息子としてはではなく雇い人にでもしてもらおうとの考えでした。すると、「まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした」のです。自分の罪を認め、もはや息子と呼ばれる資格はないと告白する息子を父は赦し、彼の帰還を喜び、息子としての祝福の中に迎え入れたのです。
このたとえ話でイエス・キリストは何を教えようとしているのでしょうか。父のもとを離れた息子はすべてを失いました。しかし父のもとに帰った時に、すべてを回復したのです。この「父」は神を表します。神の愛は、人の思いをはるかに超えるほど大きなものです。身勝手と不遜、そむきと冒涜、あらゆる罪を赦して、平安と祝福の中に迎え入れてくださる完全な愛。神は今もそのような大いなる愛をもって、ご自身のもとに立ち返る者をしっかりと抱きとめ、受け入れてくださいます。
あなたも今「立ち上がって、自分の父(神)のもとに」いらっしゃいませんか。
